中継ぎ投手の悲しいキャリア

 今年のヤクルトのクライマックスシリーズは、あっという間に終わってしまいました(´・ω・`)

 ノーヒットノーランとは。菅野智之はすごい投手になったなあ。菅野は今までもすごくいい投手だと思っていて、ダルビッシュ有田中将大大谷翔平などよりすごいと思っていたくらいなのだけど、それが証明されました(´・ω・`) いままで「俺がリアルタイムで見たすごい投手ランキング」の歴代1位は伊藤智仁だったんですが、今回のノーヒットノーランで菅野が上回ったかも。試合の録画をとっておいて、しばらくたってからもう1回見よう。

松岡健一と山本哲哉の引退

 ところで、ヤクルトの今シーズンオフの話題の一つに、松岡健一と山本哲哉の引退があります。「マツケン」「ヤマテツ」の愛称でファンから親しまれ、リリーフ一筋でヤクルトの投手陣を支えていた両投手が奇しくも同時に引退。ヤクルトファンとしては感慨深いものがあります。

 キャリアを一人ずつ見ていきましょう。まず、松岡健一。フォークを武器に2008年からセットアッパーに定着。押本健彦と並ぶタフネスぶりで「次のヤクルトのクローザーはこいつだ」と思っていた時期もありました。

 しかし、2012年についに故障してほとんど登板できず。2013年以降は復活しましたが「あの頃の輝きは戻ってこなかったなあ」という印象があります。

 山本哲哉は2012年から台頭。2013年は一時期クローザーを務める。しかし、2013・2014年はチームは連続最下位。ヤクルト低迷の原因としてけが人が多いことが挙げられ、「ヤ戦病院」と揶揄される事もあるのですが、山本はケガをしないで活躍を続けていた貴重な存在でした。

 と思っていたら、2015年はケガで低迷。しかし、チームは優勝。2度目のトミー・ジョン手術を受けて翌2016年は一軍登板登板ゼロに終わりますが、2017年は復活しますがチームはまたも最下位。そして2018年はまた登板数が激減してそのまま引退。 チームが低迷した年に活躍し、チーム成績が良かった年は登板が少ないという孤軍奮闘投手になってしまいました。

 こうやってプロ野球選手のキャリアを見ていると思うのが、 中継ぎ投手のキャリアは突然終わることが多すぎない?ということ。この2人も、2017年には30試合以上登板しているのに、2018年にもう引退です。

 年を取ると衰えるのは投手も野手も同じですが、野手だと衰えても晩年は代打で活躍したり、投手でも先発だと、中継ぎに転向したり、登録抹消を挟みつつローテの谷間にたまに先発したりという展開がある場合も多いです。中継ぎ投手はそういう展開がなく、少し衰えると2年くらいで、年齢もまだ30代前半なのに、いきなり引退というパターンが多い気がします。

中継ぎ投手の悲しいキャリア

 というわけで、自分が悲しいと感じるヤクルト投手のキャリアを何人か挙げてみます。

島田直也

 横浜で毎年中継ぎ登板を重ねていたが、1999・2000年はやや不振で自由契約に。しかし、2001年ヤクルトに移籍すると安定した登板を重ねて優勝に貢献。選手名鑑*1にも「使い減りのしない貴重な中継ぎ」と書かれます。ところが、翌2002年からいきなり登板数が激減して自由契約近鉄に移籍するも2003年限りで引退。2001年の活躍はなんだったのか……。

山本樹

 ヤクルト黄金時代後半の中継ぎエース。全盛期1996年~2001年。2003年も復活して50試合登板していますが、そこから衰えてわずか2年で引退。

河端龍

 2000年代始めのヤクルト中継ぎエース。1999年にルーキーながら14試合に登板するが、翌2000年はリハビリで登板ゼロ。2001年に復活して優勝に貢献。そこからセットアッパーとして毎年活躍するが、2006年に再びリハビリで登板ゼロとなり、今度は復活することなくそのまま2008年に引退。

 自分が「中継ぎ投手のキャリアは悲しい」ということをはっきり意識したのはこの投手がきっかけ。これだけ活躍した投手なのに、突然登場して、突然いなくなっていた。

押本健彦

 2008年、ヤクルト-日本ハム3対3トレードの一員(藤井秀悟坂元弥太郎三木肇-川島慶三押本健彦橋本義隆)としてヤクルトに移籍。この時、藤井秀悟を出したのはびっくりしたなあ。ただでさえグライシンガーと石井一久が抜けて先発投手がいないのに、藤井出すか? 前年の先発登板数1・2・3位が抜けるってどういうこと!?

 と思っていたら、移籍してきた押本が大活躍。毎年50試合以上の登板を重ねるタフネスぶりを発揮し、押本健彦-松岡健一-林昌勇の勝利の方程式は長く続きました。しかし、2013年に故障で50試合登板が5年で途切れると、翌2014年引退。あれだけ毎年登板していたのに、それからたった2年で引退とは……。

久古健太郎

 左腕のサイドスロー。2011年、ドラフト5位ながらルーキーイヤーから登板を重ねてレギュラーシーズン2位の躍進に貢献。翌2012年は血行障害の手術の影響で登板数が減りますが、翌2013年からは再び左のワンポイントとして活躍を続け、2015年の優勝にも貢献する。このままの状態が続くのかと思いきや、2017年に登板数が激減して今年、2018年は一軍登板ゼロのまま引退。ヤマテツ、マツケンと並んで引退セレモニーあってもよかったと思うんだけど?

ヤクルト以外の投手

 ヤクルト以外の投手だと、印象深いのが中日-西武の岡本真也です。2004年から4年連続で60試合前後登板している中日リリーフ陣の大黒柱でしたが、2008年、FA移籍してきた和田一浩人的補償で西武へ移籍。なぜこの投手をプロテクトから外すのか!? そのときは理解できませんでした。西武1年目はそこそこの活躍でしたが、2年目途中から成績が落ちるともう戦力外通告。中日はこうなることを予見していたのか? そうだとしたら卓見だとしか言いようがありませんが……。

 今年引退した巨人の山口鉄也も悲しいキャリアだと感じます。あれだけ毎年鉄腕ぶりを発揮していたのに、1年投げられなかっただけでもう引退なの? まだ35歳でしょ?

理想のキャリアは?

 こう見ると、最後に活躍してから1~2年で引退、あるいは活躍していたのに故障で突然消えてそのまま引退、という選手が目立ちます。プロ野球選手の中継ぎ投手というのはそういうもの、と言えばそれまでですが、野手や先発投手の終わり方と比べるとあまりに悲しい。中継ぎ投手でも、もう少し息の長い、フェードアウト感のある終わり方はできないものかと思ってしまいます。

 例えば、高木晃次のような終わり方です(ヤクルト時代は主に先発でしたが)。

 入団したのは阪急。しかし、1990年に42試合登板した以外は大した成績を上げられず、ダイエーを経て、1998年、30歳でヤクルトへテスト入団。1999年は規定投球回数に達して9勝を挙げる活躍をしましたが、そこまで好投し続けたわけでもないしなあ。他の年はメッタ打ち状態だった記憶しかない(^_^;) 2001年は2試合の登板にとどまり戦力外通告を受けロッテに移籍。この年34歳。もう引退寸前という印象でしたが、ここからロッテで8年、41歳まで現役を続けるとは……。しかも、年々登板数が増えていく。実働19年。見事なキャリア。

*1:『日刊スポーツグラフ 2002年プロ野球選手写真名鑑』