第2回スワローズ検定1級でパニックになった問題

 第2回スワローズ検定が開催されたので今年も受検してきました。会場は昨年に引き続き四ッ谷の上智大学です。

第2回スワローズ検定看板

 昨年2級に合格したので、今年は1級を受験しました。受験者数が気になっていたのですが、少ない! 1級試験が行われていたのがあの部屋だけなら(スペースが余っていたのでそうだと思います)、受験者は30人いなかったと思います。昨年送られてきた採点結果を見ると、2級の受験者は350人いたのですけど。1級受験には2級が必要とは言え(1級・2級併願も可能だが、2級を合格しないと1級は採点されない)、こんなに少ないとは。まあ、昨年の2級の問題を見たら、1級で7割正解できる自信がある人は少数だろうからなあ。

※2016/2/29追記 別の部屋でも1級試験を実施していたようです。となると受験人数はちょっと分かりません。

 試験問題は難しかったです。難度自体ももちろん高いですが、自分としては60分という時間制限が厳しいです。冷静に順を追って思い出せば答えにたどり着けそうな問題でも、1問あたり36秒しかないとなると厳しい。もちろん、短時間にスッと思い出せるかというところまで含めての試験ということですが。

 そして、時間が足りないことでパニックになってしまった問題がありました。

問007 1986年のドラフトでスワローズが1位で指名した選手は次のうち誰?

  1. 伊東昭光
  2. 松井秀喜
  3. 長嶋一茂
  4. 西岡剛

 問題を見た時の第一印象は、「ドラフトは昨年表を作って勉強した。80年代後半から90年代の、ましてやドラフト1位なら絶対わかる」。直感は西岡剛だったので、時間もないので4にマークして次の問題に進む。

 全問の回答を終えて、少しだけ時間が余ったので1問目から見直す。そして残り5分もないところで7問目に来た。「あれ? 1986年が伊東昭光という可能性はないか?」。ちらっと頭をよぎった。

 伊東昭光と言えば、1988年にすべてリリーフ登板で18勝で最多勝を取ったのが有名なエピソード。そして、その前年の1987年は普通にローテに入って14勝11敗の成績を残している。ここまでは自信ある。1987年ってルーキーイヤーだったっけ? それが急にわからなくなった。ルーキーイヤーだとすれば、1986年のドラフトで指名されていたことになる。答えは1だ。あれ? どっちだったっけ?

 ここで突然あわて出す。ルーキーイヤーで14勝すれば新人王になるだろう? 1987年の新人王は3割打った荒井幸雄。1987年の荒井ってルーキーイヤーだったっけ? 伊東と荒井は同じ年の指名だった気がする。そうだとしたら、荒井がルーキーイヤーなら伊東もルーキーイヤーということだ。あれ? 荒井の前の新人王は3年連続で広島の選手が獲得したはずだ。1986年は長冨、1985年は川端、1984年は小早川。長冨と伊東が対比されてどちらが即戦力にふさわしいかとか言われていた文章を読んだことがある気がする。と言うかこの情報はこの問題に関係あるか?

 さまざまな情報が頭の中に押し寄せて来て、確たる自信のない情報も混じってるから何が正しいのか分からなくなる。終了時間も迫る。こうなるともうダメ。何も考えられない。頭がぐらぐらして心拍数が急上昇(したような気がする)。健康面でやばいんじゃないかと思うくらいドキドキしましたね。残り時間は、4のマークを消して1にマークを付け、1のマークを消して4のマークを付け、という作業を繰り返すだけでした。最終的には半ば時間切れで4の西岡剛にマークして解答用紙を提出しました。結果的にはそれで正解なのですが、何回も消しゴムを掛けたからマークミスになっているかもしれません(^_^;)

 冷静に考えれば、知識として自分の中にあるはずのものばかりでした。伊東昭光は1985年のドラフト1位。2位が荒井幸雄。広島の1位が長冨浩志。長冨より、ロス五輪金メダルの伊東の方が即戦力なのでは?という評価も一部であったが、1986年に新人王を取ったのは長冨。1987年の新人王は2年目の荒井。1987年に伊東が14勝したのに新人王にならなかったのは、1986年で多く登板して新人王資格を失っているから。1986年の伊東昭光は、ルーキーながら、高野光・尾花高夫荒木大輔に次ぐローテの4番手で4勝11敗という成績を残している。なお、伊東は最多勝を取った翌年の1989年も、奇しくも同じ4勝11敗という数字だった。この段落、資料など何も見ずに書いてます(あとで確認はしました)。

 改めて見れば何てことはない問題。特に、1986年に登板していたということを思い出せば、1986年ドラフトで指名されるはずがないことは簡単にわかったはずです。その情報を思い出す前にパニックに陥ってしまった。簡単にできると思っていたのに少し不安なことがあると、そこからパニックは広がる。そして、パニックになると簡単にわかるはずのことがわからなくなる。試験後も、1時間くらいはこの問題のことは冷静に考えることができませんでした。びっくりしました。いい経験をしました。


ギャオス内藤答え合わせ会ポスター

 試験後は、ギャオス内藤内藤尚行氏)が登場する答え合わせ会が実施されました。当時ルーキーだった川崎憲次郎の初勝利をリリーフした話などおもしろかったです。会の終わりにはギャオス内藤勝利のウイニングボール(!)などを賭けたジャンケン大会とサイン会。自分も公式テキストにサインしていただきました。

 答え合わせ会で解答も配布されました。自己採点の結果は65点。合格基準の70%には達しませんでした。残念! くやしい! 問題は難しかったですが、とてつもなく難しいというほどではないです。問題の分析はまた改めてやるつもりですが、問題自体は昨年の2級の方が難しかったのでは?と思う部分もあります。いい準備ができていれば合格するのも無理ではなかったはずだという感触です。しかし、昨年の2級も十分難しかったですし、1級は公式テキストからの出題がありませんでした(と思う)。昨年の2級は半分が公式テキストからの出題でした(今年もそうだったようです)。7割正解するのは大変なのは確かです。1級の合格者が何名出るのか気になるところです。

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